「セフレが5人いる。でも本命になれない」
「女の子を口説き続けるのに、本気になれない」
「二次元しか信じられない」
……この漫画、登場人物が全員どこかぶっ壊れています。でも読み進めていると、
「あ、この人の感情、ちょっとわかるかもしれない」
そう思った瞬間、あなたはもうこの漫画から抜け出せません。
いつまちゃん著『来世ではちゃんとします』。タイトルに漂う絶妙な「投げやり感」に、どれだけの大人が救われているか。今回は、この作品の凄さを語ります。
都内の弱小CG会社に集まった5人のこじらせ者たち
舞台は、都内の弱小CG制作会社「スタジオデルタ」。
同じ職場で働く5人が、それぞれまったく違う「こじらせ方」を抱えて今日も生きています。
- 大森桃子(主人公):セフレが5人いる。でも誰の「本命」にもなれない。承認欲求と孤独を抱え、誰かに必要とされることで自分を保とうとしている。
- 高杉梅:二次元を愛するクールな腐女子。性に興味がなく、現実の人間関係を巧みに遠ざけて生きている。
- 松田健:女性を次々と口説く天性のモテ男。なのに誰も本気で好きになれず、後ろにはメンヘラになった女性が数珠つなぎ。
- 林勝:「処女」を神聖視し、自分はその資格がないと思い込み、風俗に通い詰める。過去のある出来事が、彼の恋愛観を歪めた。
- 水木:好きになるのはいつも「二番目の女」の立場の人。都合のいい関係に安住し、そこから出られない。
一見「クズのオンパレード」に見えるかもしれません。でもこの5人、読んでいるうちにどんどん愛おしくなっていくのです。
痛い、でも愛おしい! 本作が現代人の心を掴んで離さない理由
【理由①】「クズ」で片付けられない、誰しもが持つ「寂しさ」の解像度の高さ
この漫画の何がすごいって、キャラクターの行動ではなく、その行動の「理由」を丁寧に描くことです。
桃子は5人のセフレを持つ。表面だけ見れば「だらしない」の一言で終わる。でもいつまちゃん先生はその奥を掘り下げる。誰かに求められないと不安になる感覚。「本命」になれないことを、むしろ自分から選んでいる逃げの構造。傷つくのが怖いから、最初から「それっぽい関係」に留まっている切なさ。
松田だってそう。口説くのは得意なのに、本気になれない。それは冷たい人間だからじゃなく、本気になることへの恐怖が、深いところに根を張っているから。
キャラクターたちの行動を「おかしい」と笑えない。なぜなら、その根っこにあるのは——
「傷つきたくない」「認めてほしい」「でも近づくのが怖い」
という、ごくごく普通の、人間としての感情だから。
いつまちゃん先生の観察眼は、その「普通の感情が拗れた姿」を、恐ろしいほどの解像度で描き切ります。読んでいて痛くなるのは、他人事じゃないから。
【理由②】桃子と松田の関係性。不器用な2人が紡ぐ、新しい「純愛」のカタチ
この漫画の中心軸は、間違いなく桃子と松田の関係です。
2人はセフレでも、恋人でも、友達でもない。でも確実に、お互いの存在が特別になっていく。
松田は誰にでも優しくできるのに、桃子には少しだけ正直になる。
桃子は誰にでも「都合のいい自分」を演じるのに、松田の前だと時々ボロが出る。
近づきそうで近づかない。でも確実に何かが変化している。
この2人の距離感の描き方が、本当に絶妙なんです。甘くない。全然甘くない。むしろずっともどかしい。でもだからこそ、2人の間に生まれるちょっとした柔らかさが、ページを通して胸に刺さってくる。
お互いの傷の形がなんとなく似ているから、うまく噛み合わないのかもしれない。でも似ているから、言葉にしなくても「あ、この人もそうなんだ」と気づけてしまう。
「恋愛」と呼ぶには歪で、「友情」と呼ぶには距離が近い。でも、この2人の間にあるものこそが、この時代のリアルな「純愛」のかたちだと私は思っています。
【理由③】劇薬の裏にある優しさ。読んだ後に「明日も適度に頑張ろう」と思える救い
このタイトル、よく考えると面白いんです。
「来世ではちゃんとします」——現世は諦めた、みたいな響きがある。でもこれ、よく読むと「現世はなんとか生き残る」という宣言でもあるんですよね。
5人は誰も、完璧に立ち直ったり、こじらせを克服したりはしません。それでも、毎日ご飯を食べて、職場に行って、誰かと笑って、また傷ついて、また明日を迎える。
この漫画が伝えているのは「もっとちゃんとしなさい」じゃない。
「不完全なまま生きていくしかないけど、それでもいいよ」という優しい肯定です。
来世でちゃんとすればいい、という言い訳の中に、今をなんとか生き抜くための切実さがある。その温度感が、現代を生きる読者に静かに響いてくる。
ドラマ版との違い——原作漫画だからこそ味わえる「内面」の深み
ドラマ版を先に見た方も多いと思います。でも原作漫画には、映像では表現しきれないものがあります。
それはキャラクターの「頭の中」です。
いつまちゃん先生のモノローグは、行動の裏にある感情の流れを、驚くほど繊細に言語化します。「なんでこんなことしてるんだろう」「やめたいのに、やめられない」——そういう、言葉にしにくい内面の揺らぎが、漫画のコマの中にぎっしり詰まっている。
特に桃子の独白は、読んでいて何度もハッとさせられます。刺さりすぎて、ちょっと笑ってしまうくらいに。
ドラマから入った方こそ、原作漫画で5人のキャラクターをもう一度深掘りしてほしい。きっと「こんなに複雑な人たちだったのか」と、別の角度から物語が見えてきます。
まとめ:現世を不器用に生きるすべての大人へ
「ちゃんとしなきゃ」と思いながら、なんとなくできていない。
誰かと深く繋がりたいのに、怖くて距離を置いてしまう。
傷つかないように、最初から「それっぽい関係」を選んでしまう。
そういうことが、一つでも思い当たるなら。
『来世ではちゃんとします』は、あなたのためにある漫画です。
「性」をテーマにしているから過激に見える。でも本質は、孤独な人間がどうにか今日を生き延びていくための、やさしい群像劇です。
読み終えた後、不思議と心が軽くなる。「自分だけじゃないんだな」と思える。
現世を不器用に生きるすべての大人へ。これは、心が軽くなる名作です。
いつまちゃん著『来世ではちゃんとします』/ 集英社


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